2012年10月2日火曜日

(墓94)祈りは生者のためにも~被災地取材で感じたもの~

祈りは生者のためにも~被災地取材で感じたもの~

太田宏人


 祈りなき埋葬…東松島市



 このたびの東日本大震災で被災した皆様に心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。東北や北関東の太平洋岸の被災地が復興し、被災した方々にいつの日か笑顔が戻ることを心より願うとともに、被災していない私たちにできることを微力ながら、続けてまいる覚悟です。


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 (平成23年)4月3日、宮城県東松島市と石巻市の知人へ物資を届けました。

 ちょうど、仙台市内の知り合いの僧侶が、石巻市の避難所になっている寺院へ物資を配送するというので、便乗させていただきました。ですので、各地の取材もさせていただきました。仙台から石巻へはバス路線がありましたがバスでは細かい移動は難しかったので、この僧侶に感謝しました。

 私たちは、ワゴン車に救援物資を詰め込みました。知人の僧侶は、「こんな少量で、単発の援助では」と恐縮していましたが、個人の力は限られています。だからこそ、皆が力を合わせなくてはいけないのです。それほど恐縮する必要はないと思いました。

 また、知り合いからの心のこもった救援物資には、それだけで意味があると思います。

 私たちは、まずは仙台市若林区荒浜地区を視察しました。皆さんがテレビで見たのと同じような、壊滅的な光景が目の前に広がっていました。ただし、あの腐敗したような臭いや、ヘドロ、乾燥したヘドロが舞い上がり、それを吸い込んで感染症を起こすというようなことは、その場に行かなければ分からないと思います。

 その後、東松島市が震災犠牲者を土葬している同市の矢本リサイクルセンターへ向かいました。ここでは、焼却処分場の跡地に、約千体の埋葬が可能なスペースが造成されたと聞いていました。

 到着後、知人僧侶は焼香所で読経をし、私は写真を撮りました。

 同市の土葬は3月22日に開始されました。火葬場の被害、燃料不足と死者の多さ、安置遺体の腐敗の進行によって東北の太平洋岸一帯の火葬能力は限界を超えていたのです。断腸の思いに堪えながらの土葬でした。

 墓地に足を運び、私は絶句しました。

「なんだ、これは?」

 この現代の日本で、土葬の墓穴を、しかも一面に広がる墓穴を目の前に突きつけられる事態が来ることを、震災前に誰が想像しえたでしょうか。戦地に急遽つくられた兵士の墓地のような錯覚さえ覚えました。穴を掘り、棺を運ぶのが鉄兜に軍服姿の自衛隊員だからでしょうか。ていねいな埋葬を続ける隊員たちに、ただただ、頭が下がりました。

 穴は、比較的浅いものでした。後日の本火葬のため、掘り出しやすいようにしたためでしょう。

 3日からは身元不明遺体の埋葬が始まりました。腐敗が著しく、これ以上は安置できなくなったためとのことです。埋葬前の棺は自衛隊のトラックに積まれていましたが、明らかな死臭が漂っていました。

 身元が分かった犠牲者の「墓」には木の墓標が立てられています。でも、身元不明者には土が盛られるだけでした。棺の側面にマジックで大書された3ケタの識別ナンバーが、目に焼き付きました。



犠牲者追悼は被災者支援




 震災の翌週、福島県いわき市でも取材しました。沿岸部の惨状や遺体安置所をまわり、ご遺体に手を合わせました。

 眼を見ひらいたお顔は、忘れられません。

 いわき市の中心部に津波被害はなかったが、地震によって、ある寺院の境内墓地では大半の墓石が倒れ、石塔類は大破していました。

 その写真を撮っていると、地元の方が数人、倒れた墓石をかき分けて、墓地を歩いていきます。「墓が無事かどうか見に来た」そうです。

 その数日後、新潟からいわきへボランティアに行った僧侶が「自宅避難している人たちへ物資を届けたら、彼岸法要を何回も依頼され、とても喜ばれた」と語っていました。これほどの激甚災害に遭遇しても、先祖への祈りを絶やそうとしない人々がいるのです。いえ、むしろ激甚災害に見舞われたからこそ、祈りは強くなったのかもしれません。

 このことを、石巻で私は確信しました。

 石巻のある被災寺院を訪れたときのことです。その本堂は1階の梁(はり)まで津波が襲った結果、まるで廃寺のようになっていました。山門は「吹き飛ばされ」、墓地には乗用車が何台も山積みになっていました。なにをどうしたら、このような状態になるのか想像できません。車両や墓地にたまったガレキの下からは何人もの犠牲者が見つかったそうです。この日も、まだ遺体があるかもしれないということで、自衛隊が墓地を捜索していました。

 ある家族がやってきました。住職を見つけ、お互いに無事を喜び、家族の人々が住職に話しかけました。彼らの家も津波被害にあったのですが、なんとか生き残りました。でも、寺に預けた遺骨が心配だったので見に来た、というのです。

 幸い、遺骨や位牌は流出しませんでした。それを聞いて、彼らは安心して帰っていきました。

 死者へ想いを寄せることや祈りが、生者に安心を与えるのです。私は、それをこの目で確かめました。

 津波で壊滅した墓地の整理、祈りの場としての寺院の回復など、当然のことながら後回しにされています。もちろん、ライフラインの復旧、医療や食料、仮設住宅確保をはじめとする被災者支援は長期にわたって最重要事項であり、それ以外の押し付け援助を強弁するつもりは微塵もありません。

 しかし、回向や供養、祈りや葬送といった分野に対する支援も、被災者の方々が安心して生きていくために、不可欠な要素といえるのではないでしょうか。


※埼玉のある葬儀社の会報に平成23年に書いたものです。