2010年10月7日木曜日

(墓89) 大日本帝国 幻のコイン「陶貨」

大日本帝国 幻のコイン「陶貨」
文・太田宏人

 靖国の英霊には申し訳ないが、太平洋戦争は無謀だった。日本には資源もないのに、戦線を拡大し続けた軍上層部は阿呆だったとしか思えない。資源の不足は戦力の不足に直結した。長期の消耗戦で必要なのは精神力よりも物資だった。
 戦争を続けるため、一般家庭からも金属が供用された。貨幣用のアルミもなくなり、代用資材の錫も消えた。昭和19年10月、造幣局では苦肉の策として「せともの」で貨幣を作ることにした。これが陶貨だ。
 造幣局には陶器の技術はない。そこで製陶業の盛んな各地(瀬戸、有田、京都)に命じて、数千枚とも数千万枚とも言われる陶貨が生産された。額面は10銭、5銭、1銭の3種類。組成は粘土7割に石とアルミ等の金属を混入した。
 こうして着々と準備が進められていた陶貨だが、流通に必要な枚数が完成する前に敗戦。陶貨は粉砕処分となった。ゆえに、「大日本帝国最後の幻のコイン」と称される。ただし、終戦時の混乱のなか何枚かが流出したため、現在も遺されているというわけだ。
 現物の1銭陶貨は、京都の義歯メーカーである株式会社松風(しょうふう)の本社展示室で見ることができる(事前予約が必要)。松風は陶貨の製造工場のひとつであった。なぜ義歯の会社が陶貨を作っていたのかというと、昔、義歯は陶製だったためだ。
 編集部がオークションで5000円で落札したという1銭陶貨を見せてもらった。色は赤銅色で、直径はリップクリームのフタ程度。意外に小さい。厚さは一円玉を2枚重ねたくらいである。
 表面には雲のたなびく富士山と「壹」の文字。ネットなどでは、「材質の関係で複雑な図柄は避けられた」と書かれているが、「壹」の文字は小さく、しかも非常に精巧。技術の高さに驚く。裏面は桜の花に「大日本」の文字。床に落とすと陶器の乾いた音のなかに、なんとなく金属的な音も混じっていた。
 陶貨を指先に載せてみる。陶貨は軽いが、そこに凝縮された歴史は、重かった。

(ミリオン出版の雑誌に2010年2月くらいに書いた)