2007年9月4日火曜日

(墓76)鬼木市次郎さん、死去

ブラジルに鍼灸マッサージ学校設立の功労者
両親はペルー移民


 鍼灸マッサージ師で教育家、事業家でもあった鬼木市次郎さんが3月26日、療養先の福岡県柳川市で死去。94歳だった。死因は老衰。密葬を済ませ、葬儀はブラジルで行なわれる予定。
 鬼木さんは両親がペルー移民。父親(伝次郎)の墓はリマ市のエル・アンヘル墓地に、母親(カメ)の墓はリマ市北方のサン・ニコラス墓地にそれぞれある。
 鬼木さんの両親は鬼木さんを残してペルーで働いた。いつかは鬼木さんを呼ぶつもりであったが、果たせずしてペルーで亡くなった。
 鬼木さんは福岡で育ったが、小学生のときに視力が0・03まで低下。1932(昭和7)年、柳川盲学校を卒業。その後、中国大陸で鍼灸マッサージで成功するも、敗戦により、妻子と裸一貫で帰国。鍼灸マッサージの治療院やレジャー施設を経営し、東京に学校法人鬼木医療学園・国際鍼灸専門学校を建設。
 1973(昭和48)年には父母の眠るペルーを初めて訪問。感激の墓参を果たしたほか、鍼灸マッサージの無料治療を行い、好評を博した。
 鬼木さんの胸中には次第に「南米の視覚障害者に自活の道を与えたい。それには鍼灸マッサージの学校をつくる」という夢が膨らんでいった。
 1990年、ブラジルのサンパウロに鬼木東洋医学専門学校を設立。盲人教育に貢献するとともに、ブラジルでの東洋医学の普及に大きな役割を果たしている。同校には診療所も併設され、地域住民らに好評。
 近年、鬼木さんは体調を崩し、生まれ故郷の柳川に帰国。療養中だった。(太田宏人)
【写真】サンパウロ市の鬼木学校・診療所
サンパウロ新聞等に投稿
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