2007年9月4日火曜日

(墓72)パドレ・マルティネス帰天(77歳)

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 日系ペルー人に対するカトリック布教に多大な貢献をしたルイス・マルティネス神父(パドレ・マルティネス)が日本時間の3月7日午前5時30分、心不全のため宿泊先のイエズス会・ロヨラ・ハウス(東京都練馬区)で帰天した。77歳、イエズス会生活は60年6か月だった。
 通夜は3月9日(金)午後5時からロヨラ・ハウス、葬儀ミサ・告別式は翌10日(土)午前10時30分から東京四谷の聖イグナチオ教会マリア聖堂で執り行われる。
 連絡先はイエズス会日本管区(電話:03-3262-0282)。
 パドレ・マルティネスはスペイン生まれ。戦後のカトリック教会の日本布教を担うため1953年に日本へ赴任。上智大学で教鞭を執った。その経験から日本語が堪能だった。その語学力(スペイン語・日本語)を評価されて、1964年にペルーへ赴任。セントロのサン・ペドロ教会に執務室を構え、日系人のasesor espiritual(心の助言者)として35年間の長きにわたって活躍した。数多くの結婚式や洗礼を行なったほか、カトリカ大学でも講義を行った。また、パドレ・マルティネスの代表的な著作である日西辞典は、いまも多大な好評を博している。
 「いまや、数万人のペルー人が日本にいる。彼らの役に立ちたい」と、2000年以降は再び日本での布教生活に尽力。群馬県や栃木県など、ペルー人が多く住む場所へ精力的に出かけるほか、電話やe-mailによる相談も受けていた。一時期、パドレ・マルティネスの事務室のあった上智大学や、宿泊先のロヨラ・ハウス(イエズス会修道士の老人施設)には、訪問客が絶えることがなかった。また、WEBページでの教話も行い、教話をまとめた著作集(スペイン語)も一年に一冊以上のペースで出版した。
 パドレ・マルティネスの御霊に安らぎあれ。

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写真①パドレ・マルティネス(1968年/左側は旧リマ日校の小川長男先生)
写真②晩年のパドレ・マルティネス(2000年/上智大学で)
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