2007年8月16日木曜日

(墓3)幽霊の住む谷

青森県の車力(しゃりき)村の浜辺を歩いていた時、座
礁船を見つけた。人の住む集落から、えんえんと続く松林
を一時間ほども歩き、今度は葦(あし)の群生地を通り抜
け、ようやく浜にたどり着く。
人がいない。誰もいない。
途中、畑や廃墟などはあったが、人の生活の音や匂いが
まったくしないのだ。実は、こういうところが日本の隅々
(すみずみ)には、たくさんある。三〇〇年前と同じ風が
吹いているようなところが、まだまだあるのだ。
ところで、この座礁船は地元の人の話だと、幽霊船とい
う。だが、村役場などで確認したところ、座礁した時に、
べつに誰か死人が出たというわけでもない。
では、どうしてそういう噂が立つのだろうか?
※ ※
人は、心に谷を持っている。谷間には、文明社会の光が
届かない。現代でもなお、暗いままの領域だ。人間が太古
から持ち続けている野生的な欲望、動物的な激情、そして
恐怖や畏怖など、皆この谷間に住む。だから、座礁船のよ
うな恐ろしい雰囲気を持つ存在に対し、心の谷間から、誰
のものとは知れない、幾つかの声が湧き出て、文明社会に
生きる私たちの精神を狂わすのではないだろうか。
「幽霊船」や「幽霊屋敷」に出会う旅は、なにも幽霊を
見るためではない。それらが生み出された背景にある、人
間の心の影との出会いの旅だ。
幽霊は、人の心の谷間に住む。

1998年頃『ペルー新報』(なぜか)スペイン語版掲載=日時不明=
合掌